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海と人の快適なふれあいのために。熱くやさしい心を磨いて、いつも自然を見つめています SURF90 Chigasaki Lifesaving Club

ライフセービングLIFE SAVING

SURF90茅ヶ崎ライフセービングクラブ活動

ライフセービングとは人命救助のことですが、一般的には海浜での安全監視、救助、救護活動のことを言います。そしてこの活動に関わる人のことをライフセーバーと呼んでいます。日本ではまだ馴染みの薄い言葉ですが、海外においては既に1つの社会的ステータスとして認知され、政府や民間企業が一体となって運営され、その活動に敬意が表されています。

 ライフセービングの究極の目的は人命救助です。この世の中で最も尊厳されるもの、それは生命です。悲惨な水難事故から人命を救おうとして生まれたライフセービングの精神は大変素晴らしいものです。そして、近年ライフセービングという言葉が様々な場面でよく採り上げられるようになり、また競技スポーツとして注目されるようになってから、ライフセービングに内包されるものが社会生活の多様性というものによって浮かび上がってきたように感じます。

 第一に安全教育。当クラブはライフセービングに必要な知識と技術を一般市民に普及しています。
 日本の義務教育では必ず水泳の授業があります。これは四方を海に囲まれた島国日本において、自己の身を守るために必要な技術であるということから行われています。ところが、学校教育のなかでは実際の水難事故の場面を想定した着衣泳法や救助法といった内容は行われてきませんでした。特に若い世代の教育が他国と比べ大変遅れている現状です。これからの社会では小学生のうちから自分の身の安全の確保、救助が必要な場面に遭遇した際の対処法などを習得することが望まれていくでしょう。救急車を呼んだとしても通報から到着まで現在で全国平均約6分かかります。心肺停止状態での6分はあまりにも深刻なダメージとなってしまいます。今後、蘇生法講習会や救急法講習会のニーズは高まるでしょう。また、海や危険なことについて学ぶことにより自己の身の安全を確保する姿勢を得ることができるでしょう。

 第二に自己実現。当クラブのメンバーはボランティアで活動しています。
 決して気楽な活動ではなく、報酬を得られるわけでもなく、賞賛されるわけでもないのになぜライフセービング活動を行うのでしょうか。それは海が好きなだけでなく、自分の持つ知識や技術が社会に貢献している・他者から必要とされているという思いが、自己の存在の証明または社会への帰属意識を生ませているのかもしれません。また、競技に打ち込み技術を磨きあげ、逞しい身体と強い精神を磨くことで望ましい人格の形成に寄与することでしょう。

 第三に環境教育。海と人との架け橋となります。
 高度成長期を経て豊かな社会へと変貌した現在、それと引き換えに多くの自然を失ってきました。木を倒し山を削り町を作り、廃棄物を川へ流してきました。自然は循環して大きな一つの自然となります。山で起きたことが海へと繋がり人へと帰っていきます。人も自然の一部です。当クラブではビーチクリーンなど美化活動を行っていますが、浜に広がるゴミを視ると将来この浜はゴミで埋め尽くされてしまうのではないかと感じます。特に多いゴミはプラスチック・ビニール・タバコなど人工的に作り上げられた物で半永久的にそのままの形で残されてしまう物です。そしてその影響は環境ホルモン等の有害物質を含んだ食材や水質汚濁した海水浴場など私たちに返ってくるのです。こういった現状を変えていくには一人ひとりのモラルとマナーが大切だと感じます。そして、海と向き合って活動することで、「自然の自浄作用に生かされている」と気づくことでしょう。

 第四に心の教育。様々な講習会において生命の尊厳を訴えています。
 キレる。いじめ。虐待。昨今の若年層に起きる問題行動の多くは、他者との関わりの希薄さ・過剰な自己防衛などの原因が考えられます。ケンカ相手もいない手加減のしらない子が感情のコントロールをできないまま暴走してしまうのでしょうか。痛みや苦しさを目の当たりにしてそのつらさ悲しさを知り、命を救うことがどれだけ困難なことかを疑似体験することによって、自己の命の重みを知り、他者への思いやりが生まれることでしょう。人生にリセットはありません。

 以上、かなり主観的な話になりましたが現代社会においてライフセービングがいかに大切なものかが少しでも理解していただければ幸いです。最後にあなたにとってLifeSaving(ライフセービング)が「人命救助」から「人生の手助け」になれるよう私たちは活動を続けていきます。


ライフセービングクラブの歴史

文明は水と共に繁栄してきたと言っても過言はないでしょう。人の住む場所には必ず水があり、水を巧みに利用して生活を送ってきました。古代においては現代のような治水環境が整っておらず、自然災害などで多くの被害を被ってきました。そんな状況の中で自信の生命を守り、家族の生命を守り救うために、人々は様々な努力をしてきたでしょう。つまりライフセービングの根源は人間の生活に密着した身近なものであったのです。
 その後は、そのような悲惨な状況を回避することにより救助行為まで至らなくてすむ積極的な活動、すなわち事故防止思想が生まれ、組織的な取り組みがなされました。

 その最初の動きは17世紀〜18世紀にかけてのイギリス、フランス、オランダとされ「WATER・SAFTY」という安全思想と事故防止のための手法が確立しはじめました。
 1800年代のイギリスではプールでの水泳に高い人気が集まり幾つかのアマチュアの水泳クラブが組織されるほどでした。必然的にライフセービングの知識と技術が求められるようになり、1891年、水の事故から命を守ることを目的として「スイマーズライフセービング協会」が設立され、その後すぐに「ライフセービング協会」と改名されました。その後1904年にイギリス王室よりその活動に対し「ロイヤル」という憲章を授かり「ロイヤル ライフセ―ビング協会(RLSS)」となり、王室から援助、奨励されるようになりました。
 RLSSはそれらの技術(プールにおける救助および心肺蘇生法など)をドリル形式にまとめ、一般の人々にも理解しやすく、興味がもてるように考案しました。それはオーストラリアに伝わり急速に広まっていくことになりました。

 1910年にはヨーロッパ諸国を中心としたライフセービング国際組織「FIS」が設立され、世界的な活動が本格化しました。さらに1971年には環太平洋諸国が中心となり、世界各国のライフセービング組織の総合交流を目的とした国際組織「WLS」が設立しました。その後はこの2つの団体が世界のライフセービング界をリードすることになります。
 その後1944年イギリスで開催されたライフセービング世界選手権(RESCUE94)国際会議においてFISとWLSが合併調印し、国際ライフセービング連盟「ILS」が設立しました。ILSは、WHO(世界保健機構)、IOC(国際オリンピック委員会」から公認を受けています。
日本のライフセービング史

 日本のライフセービングの歴史は日本赤十字社を抜きに語ることはできないでしょう。日本赤十字社の基本理念に「生命の尊重」、「苦痛の軽減」があげられます。その具体的な活動として、「水上安全法」、「救急法」、「家庭看護法」の三法が実施されました。中でも水上安全法、救急法は日赤職員であった小森栄一氏が米国赤十字から教授を受け、1943年に日赤としての救急法を創始し、翌年の1944年に水上安全法を創始したのです。
 これらは国の機関をはじめ、さまざまな団体等に広く普及されることとなりました。

 1961年に、日赤水上安全法資格を有した者が水難救助員として、神奈川県藤沢市の片瀬江ノ島海岸にて夏季の一時的な雇用として採用されるようになり、その者を「ライフガード」と呼ぶようになりました。このライフガード達がさらに活動を充実させるために「湘南ライフガードクラブ」を結成します。そして、1970年小森氏の影響を受けた日赤水上安全法及び救急法指導資格を有した者が中心となり、より確かな知識と技術の発展を目的に湘南ライフガードクラブから「湘南指導員協会」を設立するようになりました。
 1975年に、同協会の主催で第一回ライフガード競技大会(現、全日本選手権)を開催されました。しかし、同年に湘南指導員協会は個々のメンバーらが仕事を抱えながらの活動やもろもろの事情により解散してしまいます。

 1977年東京に本部を置く「日本サーフライフせービング協会」(SLSAJ)が発足されます。静岡県下田市吉佐美区海水浴場にて活動を開始します。一方、1983年には、湘南指導員協会の意思を引き継ぎ新たに神奈川県を本部とする「日本ライフガード協会」(JLGA)が発足されます。この協会名称には、ボランティアであってもその活動に携わる水難救助者の身分をプロフェッショナルへと確立するべく願ったものでありました。
 このように伊豆を中心に活動拠点を置くSLSAJと湘南を中心に活動拠点を置くJLGAの両団体が日本のライフセービング界を牽引していくことになります。

 同1983年オーストラリア政府文化財団「豪日交流基金」が豪日文化交流にライフセービング研修をと提案をはかり、それが実現されました。オーストラリアライフセービング協会(SLSAA)から会長ら3名が来日し、3週間にわたり日本のライフセービング活動を視察しました。この際、救助資材の「レスキューボード」が紹介されました。また、日本からオーストラリアへ10名を派遣し、豪日交換プログラムがスタートしました。
 同年、協会統一機関「日本ライフセービング評議会」(JLSC)が発足されます。同時に第3回豪日交換プログラムが行われました。
 このようにライフセービング先進国のオーストラリアより多くの知識や技術などを学び取っていきました。

 1991年にはSLSAJとJLGA両団体代表が統一に調印し、同年「日本ライフセービング協会」(JLA)が設立されました。また、1994年イギリスで開催された世界選手権(RESCUE'94)総会において国際連盟ILSより正式に日本を代表するライフセービング協会としてJLAが承認され、現在に至るのです。


参考図書:臨床スポーツ医学第16巻第8号